昭和53年07月04日 朝の御理解
御理解 第75節
「人を殺すというが、心で殺すのが重い罪じゃ。それが神の機感にかなわぬ。目に見えて殺すのはお上があってそれぞれのお仕置きにあうが心で殺すのは神が見ておるぞ。」
心で殺す。と恐ろしい事てす。けれども私共が言葉やら態度やらで人の真っ暗にしたりいうならば傷つけたり殺したりするような場合があるですね。それこそぐさりと心臓部を突き刺したような言い方をする人があります。やっぱし同じだと思うですね。やはり傷つけたり又は殺したり、自分の言葉で態度で言うならそういう人の心を滅茶滅茶にしてしまうと言う様な、やはり信心ではありません。
けれども、死活自在という言葉がありますよね。死、活かす自在。自由自在の自在。もう活かす事も殺す事も自由自在なという人があります。本当にあの人にもう、いうならぎゃふんとやられた。もう本当に心が真っ暗になった。けれどもよう考えさせてもらよったらあの人にいわれたり、されたりした事は本当に私をおかげに導いてくれたというなのは、いわば殺してもその人は活かす内容を持っておったからですよね。
だから死活自在のおかげの頂いけるようになったらすばらしいですね。昨日は梅の実会でございましたから、若先生が司会をして八名か九名の方が発表していましたがもう本当に信心の稽古をせにぁならんと思いました。もう一人々の発表を聞かせてもろうていわゆる、合楽理念を基にしてのいうなら発表でした。一番始めに会長の高芝さん所の娘の隈井淑子さんが発表しとりましたが、自分の家の前に大きな木がある。
そこに沢山な毛虫が出来て落ちる。私は高芝さんが毛虫嫌いな事は昔から知っとりますもんね、だからここに楠の木を植えるというた時もそげなもんないかん、虫が出来るけんでちいうて反対される位。子供ん時なんかでもね、高い木に登っとっても毛虫が居ったら飛び下りござったそうです。そげん嫌いというより怖い。だから高芝さんだけと思うとったらお母さんもだそうですね。もう芋虫なんか見たらもう縮み上っていまう。子供達がそうです。あんたげんめぐりたい、ち、話した事でしたけれどもね。
私も毛虫が好かんで好かんでたまらじゃった。それで神様にお願いをしたという話をしとりました。そしたらおかげで此の頃は毛虫がこう出てくるとそれを箒ではわいてとって捨てるだけのおかげを頂いたという話をしておった。毛虫だけじぁありません私はいろ々好き嫌いがあってから、あの人は好きとか、この人は嫌いとかいうのがあるから、毛虫と同じ好かん人でもやはり好きになる稽古をさせてもらわんならんという話で締め括ってね、もうそれこそ素晴らしい話でしたね。
やはり自分の気分に合わんとか、好かんとかいう人には、やっぱりそういう態度を取ったりいうならば心で殺したり、いうならば言葉で刺したり突いたりと、言う様な事をやっぱりやるわけですけれども、なら皆がよい人であり皆が好きな人になってきたら、そう言う事はなかろうと思うですね。昨日丁度、会を終わらして頂いておる所へ、お道の新聞がまいりました。丁度あちらで。こう開かして頂きましたら今度大阪の講演会の事が、記事に出ております。
それでこれをまあ私読ませて頂いて、改めて神様にお願いさせて頂きました事ですけれども、夕べ遅うここに出て来て、御祈念の時でしたけれども、『毒だみ草にも花が咲く』と頂きました。まあ私はうんのすんのいうなら、臭い人間だ毒だみ位なもんだろうけれども、その毒だみ草にも花が咲く時期が来たんだとね。教主様の御歌の中であれで、私の腹が決まったように、〔外に出でよと我呼びて 庭の小鳥が声鳴きるか〕と言う様なお歌があるようにね。
外に出でよ陽のあたる外に出でよと我呼びて、庭の小鳥が声鳴きあるか、と言う様なね、いうならば陽の目を見る、合楽教会が見る事になるという意味でしょう。毒だみ草にも花が咲くとね、けれども是がひとたび綺麗に洗わて陰干しされて、それをなら煎じて飲むと言う事になると第一何によいかというと、美容によいそうですね。私は綾部さんから聞かせて頂いたんですけれども、綾部さんがあんなに美しいのは私はずうっと毒だみ草を(笑)飲んでおるからと言う様な事を聞いたんですけれども、やっぱそうです。
私がこげんつやつやしとるとも毒だみ草飲みよるけんじぁなかろうかと思います。つやつやしとるかしわ枯れとるかしらんけれどもね、そして、万病に効くといわれます。毒だみ草は。生ん時にゃそれこそ鼻もちならん匂いですけれどもね、それがひと度干されて煎じて皆が飲む事になると飲みにくい段じぁない、本当においしい飲み物、お茶よりも私はあれを日に、まあ、こんな瓶一本位ずつ飲みます。毒だみ草にも花が咲く時が来たと。しかもそれがです、人の心を美しゅうせずにおかんという働きね
いうなら人間の難儀、いわゆる万病に効くという程しのおかげ。そういう内容を持っておるのが私は合楽でもあると私は思わせてもらいました。尚お願いさせて頂いとりましたら、あの今度み相撲の番付があるようにね、『番付を作る』と言う事も頂きました。私はね人助かっとる信者が多い少ないと言う事は別として、もう本当に実力ナンバ-ワンになりたい。これは私の昔からの願いなんですから。又神様ももう三十年も前にまだ、修行中の時に福岡の教会で頂いた。
『一線上に七、八名の人が舞台にずらっとこう並んでいる中に、私も並んでおる』というお知らせであった。そして教祖百年祭を目指してという事を頂いてもう本当にその事からあれやらこれやら、思い出させて頂いてもう後数年でその百年祭がちかずいて来よる。百年祭までに、本当にそれこそ一線上に出たい。と言う様な願いを持っておるね。総理大臣になりたいとか、陸海軍の大将になりたいと言う様な事ではなくて、本当に私は信心の実力のナンバ-ワンになりたい。
信心の実力のいうならば日本一を目指させて頂きたい。これは私だけではない。誰でも願える事ですこれは。頭がようなからにぁいかんとか、器量がようなからにゃならんというのじぁないです。お互いその気になったら、誰でもそれを願わせて頂けるなのであり、又願うておるからというて、あんた慢心しとるという事はないです。むしろ神様は喜んで下さる。いわゆる生神を目指すという事なんです。ね。
いよいよ、本当におかげを受けなければならないなあと、思うわせてもらいますがね。昨日その記事に出ております。読んでみましょうか。こんなに大きくここに出ております。「布教推進研修会」というのです。布教を課題として、今日における布教。これからの布教とは何かを考えて求め、思想、神情態勢を一新し全教態勢で現代社会に問うていくべき時が来た。
御理解第三節に「生神金光大神を差し向け願う氏子におかげを授けて理解申して聞かせ」とある。果して誰が現代の金光大神になるのか。どのようにおかげを授け、理解申して聞かせようとしておるのか。今その指示と実践を祈る。金光教の諸兄よ集えと前文句があります。現代のいうなら金光大神は誰かと、理解申して聞かせれるのは誰かといってますよね。
1、日時は 昭和五十三年 九月十二日より十四日 二泊三日
1、場所 大阪厚生年金会館
これは教師先生方の会話の時がここだそうです。
公開講演は産経ホ-ルですね。らしいです。
1、講師 大坪総一郎師 合楽教会長
三宅歳雄 師 泉尾教会長
1、テ-マ- 宗教者の証
1、費用 共賛教会で一切を負担する
1、申込み 教師に限る 限定八十名 内中近畿四十名
参加希望者は七月三十日までに中近畿教務所宛お申し込み下さい。厳正抽選の上本人へ資料及び通知を致します。と言う事が出ています。本当に現代の金光大神は誰かと、御理解三節にある理解申して聞かせというのは誰が理解申して聞かせるのか。という見出しを見た途端に何かしらん本当に有り難いものを感じました。
成る程神様が合楽をいうならば毒だみ草にも花が咲くと仰せられるね、そしてこの際いうならば、いうなら日本一を決めると言った様な私が頂いたおしらせは、そう言う事でございましたけれども、恐らくは私がです、言うなら或る場合にはある先生の心をずたずたに切るような、突くような事をいわなければならないと思うのですね。けれどもそういう所が中途半端ないわば、円満主義な事ではいけない。ここで言わねばならない事、言わなければ助からない事。
教団が本当にここでいうとかなければ皆が知らない。その事をいう時に真っ向から反対する人にもそれを力説、説き伏せるだけの私は理解力というかがいると思う。だから中にはそれこそ突かれたり、暗くなったりぐさぐさにやられる人が、私の話を聞いてあるかもしれません。ければも私はいつも思うですけれども、私は死活自在の術を心得ておると自分で思うです。最後には分かってもらう。
最後には成る程と合点してもらう。殺したようであったけれども、死活自在のいうならばおかげ、働きを。もし私が傷つけた殺したままで帰って来る様な事があってはならない。三日間もの時間が与えられるのだから、いうならば本当に金光大神の本当のお心を、天地の心を、公開講演の講題は天の心と地の心という事でございますけれども、天の心地の心を人が幸になる事の意味においての天地の心をもう本当に縦横無尽に、私はお話していきたいというふうに思うです。
今日の御理解を頂いて、いうならば心で殺す、いうならば私の場合は、なら言葉で話で殺すような事があるかもしれんけれども、殺さにゃ助からんなら、一ぺん殺してそしてそれを活かす自在の術というか、自在のおかげを私自身そういう力を頂かなければならないというような事を今日、昨日から新聞読ませて頂いてね、思うておる所が丁度今日は、七十五節でしたから聞いて頂いたんです。
どうぞ。